ユール・ネヴァー・ウォーク・アローンに刻まれる悲劇。

【各国のサポーター集結】

ワールドカップではロシアに大勢のサポーターが駆けつけています。
噂によると人口30万人ほどのアイスランドが、なんとロシアに3万人もの
サポーターが駆けつけたということ聞きました。
ここまでサッカーの為にサポーターが来るのは、よっぽどサッカーや
アイスランド代表が好きなんですね!
ちなみにアイスランドのアイスランド戦視聴率は99.6%だったそうです。
この視聴率がいかにサッカーが影響力を国全体に及ぼしているかがわかりますね!

サポーターというのは、時には力を、時には勇気をもらえるものですが、
過去には悲しい出来事もありました。
ワールドカップ期間スペシャルの今回もサッカーの話題を提供致します。

さて今回は、リヴァプールサポーターの悲劇を特集しようと思います。

【ヒルズボロの悲劇】


1989年4月 リバプール×ノッティンガム・フォレストの戦いが、
イングランドの「ヒルズボロ・スタジアム」で行なわれた。

「テラス」と呼ばれる立見席で、予想以上のサポーターが押し寄せたことで、
死者を96人も出した、この事件は、サッカー界史上最も最悪な事件として歴史を刻んだ。
「テラス」は選手との距離も近く、サインも貰いやすいことから人気だった反面、
フーリガン同士の抗争がよくあったので、危険な場所としては知られていた。
この事件も始めはフーリガンの仕業という線が挙がっていた。
(結局は誘導警備員の誘導ミスのようだったが)

【リバプールのレジェンドの悲劇】


スティーブン・ジョージ・ジェラード

1987年~2015年までリバプールにて活躍した、いわば、リバプールの「レジェンド」だ。
空中戦に強く。「レッド・ドラゴン」の異名を持ち、
イングランド代表でも、大いに活躍した。
そんなジェラードだか、実は彼が9歳の時、彼のいとこをこの
「ヒルズボロの悲劇」で亡くしてした。
後に追悼式に出席したジェラードはこの時のことを
「悲劇の大きさは自分自身に大きな影響を与えた」とコメントしていた。
追悼式には、約25,000人が参加をし、リバプールの監督やモイーズも参加していた。

 

「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」

この曲をご存知だろうか?
1945年のミュージカル、「回転木馬」のために「リチャード・ロジャース」と
「オスカー・ハマースタイン2世」によって製作された楽曲だ。
後にリヴァプールのマージービートバンド、
ジェリー&ザ・ペースメイカーズによって1960年代に記録された。
1963年10月26日から4週連続でイギリスシングルチャート1位を記録したのだ。
この人気を受けて後に地元のサッカークラブリヴァプールFCのサポーターソングとして歌い継がれる様になり、
試合開始前と終了後に常に歌われるクラブの愛唱歌 (Anthem) となった。
そして、追悼式には例年この曲を歌うようになった。

 

「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」和訳歌詞

嵐の中を歩むときは
顔を上げて堂々と行こう
暗闇をおそれちゃいけないよ

嵐の後には
金色の空が広がり
雲雀の甘く澄んだ歌声が待っている

歩こう 風の中を
歩こう 雨の中を
たとえ君の夢が破れたとしても

歩こう 歩こう
希望を胸に
君は決してひとりじゃない
ひとりじゃないのさ

歩こう 歩こう
希望を胸に
君は決してひとりじゃない
ひとりじゃないのさ

フットボールは決して1人でやるスポーツではない。
必ず仲間がいるし、サポーターもいる。
だから、ネガティブを恐れず歩こう。
この歌詞には共感する部分がとても多いように感じました。
サッカーはアウェーよりホームの方が圧倒的に有利と聞きます。
それは、サポーターからの声援があるからこその事だと思っています。
日本代表もコロンビアに勝ちましたが、まだグループリーグを抜けるためには
厳しい戦いが待っています。
応援しましょう!そして戦いましょう。日本代表とともに。

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